ぼたむす日記

アラフィフおひとり様の仕事、介護、読書のこと

【介護】非合理的な世界への突入

今年から、週末の土日どちらかに実家に戻り、母と1日時間を過ごすようになりました。昨日は2カ月に1度の病院に行き、土曜日と言うこともあり、病院も薬局もすごく混んでいて、病院は1時間待ち、薬局は1時間半待ち。どちらも予約ができないので、朝行って待つしかありません。1日時間が潰れてしまう大仕事です。

 

私は歯医者とたまに皮膚科に通っていますが、東京の真ん中らへんに住んでいるので、ほぼ「予約」ができるところしか行きません。しかし、母は神奈川の片田舎に暮らしていて、病院も数が少なく、内科だと予約が取れるところがほぼありません。必然的に順番待ち、になります。

 

今の病院や薬局は平日に行ければ、そんなに待たなくてもいいのですが、遠方に住んでいるとどうしても、週末にしか一緒に行けませんよね。病院だけでなく、介護手続き、市の福祉課など、みーんな「平日」が基本。いちいち仕事を休んでいかなくてはならならず、どこも劇混みなのです!

 

最初の非合理さを感じたのが、母の様子がおかしくなって、初めて「物忘れ外来」に行った4年前のこと。地元では当時市に2件しかなく、1件は電車で3駅、もう1件は車で1時間以上かかるところ。通えるところがいいかなぁ、と思ったので、3駅となりの病院へ。しかし物忘れ外来は木曜日の午前中だけ。脳外科専門の病院に、木曜日の午前中のみ、大学病院の専門の先生が来るのだ。

 

事前に病院に電話をすると予約は取れず、朝番号札を渡すので並んで欲しい、とのこと。8時30分から病院は開くのだが、7時半から札を配っているのだ。「え!?!??7時半から!?!?!」「お年寄りを待たせる方が体に悪くない!??」と思いつつ、会社を休んで、前の日に実家に泊まり込み、母を連れて7時半過ぎに到着すると、なんと15番目!病院の周りには何もなく、待合室には人が入りきらず、寒い廊下に椅子が20脚くらいおいてある。もちろんお年寄り優先で、私は立って待つことに。

 

結局順番が回ってきたのは11時近く。MRを撮って、血液採取、尿検査と簡単な長谷川式の質問だけ。結果は2週間後にまた来てください、とのこと。。。終わったのは12時半。次回の「予約できますか?」と聞いたら予約はやっぱり受けていなく。

 

そして2週間後、また会社を休み、前日実家に泊まり、翌朝母と一緒に7時半過ぎに到着。この日はゴールデンウィーク前の木曜日だったので激混みで、23番目。涙がでそうになった。結果を聞くだけなのに・・・。果てしなく待たなくてはいけないのか!?あぁぁぁ。

 

そして11時過ぎに呼ばれ、結果を聞くと、「能の委縮は見られますが、老化ですかね。おおらかに毎日を楽しく過ごしてください。お薬はありません。」とだけ。

 

「何でもないんだ」と安堵とともに、「いや!妄想をみたり、野菜の名前を1つも言えず、忘れ物がこんなに多いのに噓でしょ?」「放っておいていいの?!」となんだかすっきりせず、もやもやしたのを今でも覚えています。なんだったんだこの2週間。。。

 

仕事を中心の生活がいかに合理的で無駄がなく、先が予測しやすい、便利な世界だと実感しています。介護や福祉の世界は、社会人になる前の生活に一気に戻ってしまった浦島太郎のような感じです。あぁ、こんな世界に私も10代までいたんだよね、と。

 

母のためなので、言われた通り待つしかありません。平日休んで市役所にいくしかありません。福祉サービスを受けるために、毎回毎回住所、名前、ハンコを書かなくてはいけません。合理的ではありませんが、やるしかないのです。

 

なので、私は実家に戻る際は、社会人としてのぼたむすではなく、「娘」としてのぼたむすになりきります。介護は長丁場ですから、家族が「おおらかに」なることで、少しでもよい方向に母の未来が向かえるように。

 

今働く20-50代の皆さま。慣れた社会人の常識は、介護の非常識。まったく非合理な世界への突入になります。前もって心構えしておくことで、少しストレスが軽減するかもです!