ぼたむす日記

アラフィフおひとり様の仕事、介護、読書のこと

【ご機嫌介護No.19】不安なのは私ではなく母の方!

今日は実家に戻る日でした。母と駅で待ち合わせ、花や日常品の買い物をし、一週間分の作りを置きを一緒に用意した後、母お気に入りの「月曜から夜更かし」の録画を見て楽しく過ごしました。

 

今日は自分の話ではなく、母の話を聞くように頑張りました(笑)何度も同じことを言う母に、毎度イラっとしましたが、ケラケラと笑う母に、「まだ笑えるだけいっか」と、甘めのコーヒーを飲んで押さえました。実家に帰るといつも以上に甘いものが食べたくなるのは、このせいでしょうか。

 

今から5-6年くらい前から、母の様子がおかしいな、とは思っていました。物忘れ外来に行ったのは2019年、特に変わったことはない、と言われたのですが、物忘れがあり、冷蔵庫にお皿やお箸、歯ブラシなどが入っていたのはこの頃からでした。

 

まさか母が認知症になるなんて、「まだ早いでしょ」とどこかで思っていました。70歳になった頃ということもあり、まさかぁ、と私自身がいつも否定していたのです。母が「なぜ言われたことができないのか」「なぜお財布をいつも隠すのか」等、母の性格なのか、と思い込もうとしていました。

 

なので、会うとついつい怒ってばかりいました。「どうしてできないの?」「お財布は?」「なにやってんの!」など。そうすると母は目がうつろになり、ぼーっとして考え込んでしまって。「自分でもよく分からない。どうしたらにいの?」とよく泣かせてしまいました。

 

また母は、市がやっているシニア向けの「体操」がお気に入りで、週1回近所のママ友と通っていたのですが、突然やめてしまったのも2019年でした。この頃から、ご近所さんに「お母さん大丈夫?」と聞かれたりしたのですが、母は体操で他の意地悪なシニアの方に嫌がらせをうけていたようです。それもあって、母はストレスを抱え、悩んでいたのかもしれません。

 

母が悩んでいたのに、寄り添うどころか、怒ってばかりのダメダメの娘でしたが、これはまずい!と思ったキッカケが、母の激やせでした。

 

コロナであまり会えず、2週間ぶりに会った時に、母が激やせしていたのです。もともと痩せ体質な母が骨筋ガリ子に。スタスタ歩いていたのに、よろよろとしか歩けず。お財布を隠して見つけられず、買い物に行けてなかったのです。そこでようやく、「これはおかしい」と本気で思って、すぐに地域包括支援センターに電話をしました。

 

そこからやっと母が抱えている不安に目を向けることができました。それまでは「自分の生活どうなっちゃうんだろう」「お母さんはボケるはずがない!」とか自分の不安ばかりに目が行き、母の不安に寄り添うことができていなかったのです。

 

今でも毎回イラっとはしますが、できるだけ怒らないようにして、母にストレスをかけないように、むしろ母を喜ばせる、褒めることを心がけています。

 

母は褒められるのが好きなので、表情がぱっと明るくなるのが分かります。今はうつろな目で、ぼーっとすることは殆どありません。これは私の態度が変わったからなのですよね。母にどれだけストレスかけていたかと思うと・・・反省しかありません。でもいまだにイラっとしちゃうんですが・・・難しい!

 

今日も母が私が帰る時に「何かあったらすぐに行くから、いつでも連絡してね」と言ってきます。1年前なら「何冗談言ってんの。ひとりじゃ電車も乗れないでしょ!」と怒ってしまっていましたが、今では「はい、宜しくお願いします!」と言って実家を出ます。「気持ちはあっても、もう行けないかな。お母さんの方がお世話になっちゃってるからね」と寂し気に母がたまに言うのです。

 

そうなんです、母は自分が壊れていくのが怖いはず。でも毎日必死に自分を取り戻そうと頑張っているのです。

 

来週こそはイラっとしても怒らないようにするぞ!と心に誓うぼたむすでした。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました♪