ぼたむす日記

アラフィフおひとり様の仕事、介護、読書のこと

【ご機嫌介護No.13】認知症は千差万別

今日は兄が実家に帰り、母を美容院まで送り出してもらいました。今や自分で行けるところは、近くの駅と美容院ぐらいになった母。

今回も無事行けたことを喜ぶとともに、兄が家に居ることをすっかり忘れていて、玄関を開けてびっくりした母。傷づいた兄に「まだお兄ちゃんの顔は覚えていたからよかったよね」と慰めることしかできませんでした。(笑)

 

さて、母の様子が明らかにおかしくなってきたのは、コロナが大きく関わっている気がします。

コロナ禍で一週間交代で兄と私は実家に帰っていました。お隣さんは旦那さんが数年前に亡くなり、高齢のおひとり暮らしで暮らしなのですが、「毎朝誰かが来て、様子を見てくれているようで羨ましいわ」と、母がよく言うようになりました。

コロナ禍で人にも会えない、下手したら1日中誰とも話さないから、寂しいし、不安なんじゃないかなぁ、となんとなくは思っていたのですが、コロナだから仕方ない、と流していました。

 

コロナから2年目の秋、兄からメールで「お母さん、激やせしている」と連絡が。

その頃仕事が忙しく、実家に1カ月くらい帰ってなかったのですが、兄の知らせを受け、次の日に早速家に帰ると、やせ細った母が弱々しくソファーに座っていました。ただでさえ痩せている母が、骨川筋子さんに。

 

冷蔵庫は空で、お財布はバックの中に無く、押し入れの中に。自分で隠したお財布が見つけられず、買い物に行けなくなっていたのです。

 

「なぜ買い物に行かないんだろう」「なぜ食器が冷蔵庫の中に入っていて、食器棚に戻さないのだろう」「なぜ食パンばかり食べて、料理しないんだろう」「なぜお金ばかり数えているのだろう」「なぜ真冬なのにコートを着てこないのだろう」「掃除した、と言うけど、なぜいつも汚れているんだろう」「なぜお願いしたことをしないのだろう」等々、正直母が怠惰になった!と思い込んでいました。

 

私自身やっと「怠惰」ではなく、「病気」かもと本気で感じて、地域包括支援センターへ相談しようと面談の予約を入れました。

 

私の中で、母が認知症になるわけない!と思い込みたかったのです。サインを出していた母に気づきもせず、一番不安だったのは母のはずなのに。行動できなかった自分が今でも情けなく思います。もっと早く気が付いてあげられたら、と。

 

一方で、病院や地域包括支援センターでの支援で、全て解決するわけではありません。認知症の症状や進行具合は千差万別です。

 

母がどうしたら安心して今の生活を維持できるか、を一番に考えました。母が出していたサイン「見守りサービスが欲しい」から、まずは「ヘルパーさん」のお願いをケアマネさんに提案しました。

 

促されないとできなくなっていた「掃除」「炊事」の補助と、お財布、カギの確認を最初はお願いし、徐々に「洗濯」や「お風呂」など増やしていきました。母は人見知りしない性格なので、ヘルパーさんが合ったのだと思います。

 

私自身色々調べましたが、認知症は千差万別だと思います。なのでケアマネさんにケアプランを丸投げせず、親御さんの性格やちょっとしたサインを考慮し、それぞれの親御さんに合った支援やサービスを積極的に提案していくことも大事なことだと思います。